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07-VARIOUS

コラム

ここでは筆者の自転車におけるライフスタイルや
取巻く環境・その他について思うことを書いています。
不定期成り行き更新。


2006.9.7細部修正

 ホントに危険???日本平パークウェイ 自転車禁止 [PAGE TOP]

2005.4.6

静岡県静岡市、清水港の西部に位置する一大丘陵地「有度山」。
頂上部の平坦地は「日本平」と称され、景勝地として有名だ。
頂上までの舗装路ルートとして、「日本平パークウェイ」という有料道路が、旧清水市宮加三(みやかみ)〜山頂間の清水ルート、山頂〜静岡市池田間の静岡ルートの2本あった。(この他、別に旧清水市宮加三〜頂上までの一般道が清水側に1本ある。)

清水ルートはいち早く(財)清水振興公社より旧清水市が取得、2003年4月1日に市道として無料化、一般道化された。静岡ルートは遅れる事1年、静岡県道路公社より旧静岡市が取得、2004年4月1日に市道として無料化、一般道化された。 そして、それから1年が過ぎ、2005年4月。静岡市は清水市を吸収し政令市としてスタートした。

さて、清水ルートは2003年の市道化当初より歩行者・自転車の流入が認められていた(一般道になるんだから当たり前)が、 静岡側についてはなぜか流入禁止となっている。どうも「歩行者・自転車を通さないことが条件」ということが、公社から静岡市への譲渡条件に盛り込まれていたらしい。

静岡市側の弁によれば、「今まで有料道路だった所をいきなり一般道化して、歩行者や自転車が入ってくると、一般道化を把握していないドライバーとのトラブルが発生する」「路側帯が乏しく道が狭いし、静岡側は斜度がきつい為、自転車や歩行者の流入は危険」などの地元の有識者ら(誰?)の意味不明の声を参考にし、 当面の間、歩行者・自転車は通れない事になってしまった。 市としては、日本平の観光開発構想に基づき、将来的に歩道等の整備を考えており、それが完成したら規制解除することを検討する考えを明らかにしている。

が、私にはこの行政の考え方がどうしても解せない。たしかに日本平パークウェイは昔から走り屋のメッカとして、ローリング族やドキュンの定番コースになっており、無理な暴走をする連中も少なからずおり、無料になる夜間帯にはある意味“祭り状態”でもあった。しかしそれを背景に歩行者・自転車を通行可能とするのは危険と単純に考えるのはおかしい。

要するに、この件においての危険かどうかは、歩行者・自転車ではなくドライバー・ライダーのモラルの問題であり、一般道化されて人が入ったら危険というのは、まるで“車の運転の支障になるから”と言って締め出している事にほかならない。馬鹿げた話である。「一般道」でドライバーらが交通弱者に対してしかるべき安全配慮をするのは常識であり、交通原則である。無料化されてルールが変わったのなら、ドライバーサイドがそれを的確に把握し、そのルールに従うのは当然のことである。

第一、距離が多少短く傾斜がやや穏やかというだけで、清水側が全くお咎め無しなのは何故か?道幅や路側帯の乏しさは静岡側となんら変わらないのだ。宮加三側ルートの旧道は静岡側よりもっとタイトだし、静岡には少し山中に入ればセンターラインも歩道もない急傾斜の市道など掃いて捨てるほど存在する。そんな所だって観光シーズンにもなれば車の数も増えるし、むちゃな運転をするヤツはめずらしくない。自転車についても、ママチャリで登るにはキツイだろうが、スポーツバイクならばそうでも無い。富士スバルラインを登るよりは楽だろう。まして日本平が危険ならば、大崩海岸などは即刻自転車歩行者禁止にすべきだ。危険度ははるかに高い。つまりは規制そのものの意味合いが全くトンチンカンであり、意味の無いものなのだ。

もちろん歩道がつけば歩行者の安全性は今よりも確保できるし一見正論だが、早い話が政令市としての事業として、日本平区域の開発の理由付けの一つに利用されてしまっていると考えてしまうのは私だけだろうか? 歩道整備は自歩道ということでお茶を濁しそうですね。中途半端に広い自歩道を設置するスペースがあるならば、車道左サイドのスペースをとってもらったほうがありがたいんですけど・・・。

それにしても、このくだらない規制、いつまで続くんでしょうかね・・・?

蛇足ですが、パークウェイに関して、ここのサイトちょっと面白いので紹介しときます。
静岡側パークウェイ全体図が把握できます。(^ ^)


 非常識な常識 [PAGE TOP]

最近では自転車の盗難防止の為に「2ロック」というのがある。鍵1つでは壊されて持って行かれやすいところを、2つ着けておけば心理的な面からも壊されたり取られたりしにくいという事らしい…。 まあ確かにそれなりの効果はあるようだ。
他にはバイクから離れる際に盗難予防の為か、サイクルコンピュータやライト類は簡単に本体のみ外せるようになっている。自己防衛手段をとれという事なのだろう…。

確かに外しておけば盗難のリスクは減る。しかし万人が、必ずしもいちいちバイクを離れるごとに着け外しし、ポケットにメーターやライトをごろつかせているとは思えない。 それよりなぜ逆に外せないタイプのものが無いのか…。初期にそうだったものがドライバーなどで外されて持っていかれてしまっていた事から本体部分を分割できるようにしたのかも知れないが、結果としては逆に簡単に持っていかれてしまう状況になっている。

ちょっと待った、何かがおかしい…。
取られない為の努力も結構だが、「他人の自転車を盗む・勝手に乗り去る」「メーターやライトを外して持って行く」どう考えても明らかな犯罪である。自衛よりもっと根本的な、犯罪を犯させない環境整備や、秩序を守る人間形成を図ることの方が大事なのではないだろうか。

“自由”の概念が歪曲し、自分中心になって、「他人ヘの配慮・思いやり」が欠如した人間が増えている。そいつらは「みんながやっているから別にどうってことない」とでも考えているのだろうか?
物を大切にする心、他人を思いやる心、今一度自分の中自分を客観的にしっかり見つめ直してみないか?
と、自戒も含め思う今日この頃である。


 山サイに想う [PAGE TOP]

山サイ。すなわち山岳サイクリングのことである。昔からクライマー・パスハンター(登り・担ぎ重視設計のランドナー)などを使って高山を走破していたマニアはいるのだが、ここではMTB普及後メジャーになった里山トレッキングの事と解釈して欲しい。

山中にある林道・獣道・送電線巡視路・自然歩道などを利用し自転車で走る、マウンテンバイクならではの楽しみ方だ。とはいえ山であるから当然高低差がある。林道などはまだ乗車して登れるケースがあるが、その多くは当然担ぐことが前提となる。苦労して尾根に出ればある程度高低差のフラットなシングルトラックがあったり爽快なダウンヒルも楽しめるが、ある時は道無き道を薮コギして強行突破という場合も稀にあったりする。薮コギには『あえてやるもの』と『道に迷って余儀なく行なうもの』がある。

最近はレース以外にも自然の中でのこうした楽しみ方を過ごすことも多くなってきた。もともと日本は山に囲まれており、古くから峠を越えて村々を行き来したり林業や農業に携わるための生活道が存在した。そんな風情を感じたりしながら昔の街道や登山道など森の中をトレッキングするのは、スピードや体力を競う競技とはまた違う楽しさがあるものだ。

そんなこんなでいくらか里山で経験を重ね、前から気になっていた「とれとればいく」という山サイ・ラリーレイドのミニ版(日帰り1日ステージ。通常版は2日間)が地元であったので参加してみた。
私レベルで体験して感じたのは、常連者の地図読みと走破ペース配分のうまさだ。レースではないという頭でラリーであるということを忘れ、なまじハイキング気分で走っていたところが思いのほか時間を食ってしまった。(かつぎもつらかったが。)予定されていた中間地点での通過時間制限で1時間以上もオーバーロスしてしまったのだ。先頭集団が通過したのがほぼ制限時間である1時間前。つまり時間設定が結構タイトであることがわかる。

このラリーについては私が中間地点での足切りを理解せずそのまま残りの正規ルートへ廻って大幅に遅れてみんなを待たせてしまったという笑えないオマケがつくのだが、この「とれとれ」を通じて思うところがあった。皆トレイルランが「山中を走り回る」「ダウンヒルする」という“楽”の部分だけに傾倒してしまっていないだろうか?

まずとれとれではラリーレイドであるだけに1/25,000マップとコンパスを用いるのだが、この“地図を読む”という行為がかなり奥が深い。実は私は今まで地図とコンパスをもって山へ入ることなど無かった。実際にわか仕込みで使ってみても地図と実際の距離感・位置関係がなかなか合わない。地図上でどの位進んだか、どの方向へ進んだかを把握するのにはある程度の経験が必要になってくる。

また地図というのは基本的に測量された道路を除いて、衛星カメラ・航空写真で上空から確認できる道や建造物しか記載されない(滝や温泉なども然り)。よって林に遮られた地元の人間しか知らないような山道などは載るべくもない(整備された自然歩道などはまた別)。まじめに山を走り(歩き)まわるには(ましてや初めてのトレイルに入るのなら)最低限のオリエンテーリングの知識とマップリーディングのテクニックが備わっていなければならない。つまり“バイカー”ではなく“ハイカー”としてのスキルが必要ということなのだ。

いくつかの事例で林業者やハイカーの苦情によりMTBerがトレイルから締め出しを食ったケースも報告されているが、我々自転車愛好家も一度ハイカーの視点に立ち戻ってみては如何だろうか?これは自転車に対する歩行者という意味ではなく、フィールドが山であるということでそのフィールドに一番長けているのは何であろうかということ。
山歩きの知識を深めることにより、マナーがどうだとか共存がどうだとか、トレイルダメージどうだとか、はたまた遭難回避などということについてもおのずと答えが開けてくるような気がするのだが…。


 岩岳消滅! [PAGE TOP]

何ということだろう、20年もの歴史を誇りMTBerにダウンヒルの聖地と謳われた岩岳スキー場で行われていた「春の岩岳」をはじめとする846プロジェクトのMTBイベントが、シリーズ戦も含め2002年2月10日の当局の決定をもってMTBイベントの全てから撤退することとなった。

長引く不況のあおりもあり、メインである冬期シーズンの集客自体が芳しくなく、索道側がグリーンシーズンにゴンドラを動かすことが不利益につながると判断されたことが発端のようだが(後に山から田畑に流れる泥水や、コース上の草の成育状況などの環境問題が直接の原因と聞いた)、それにしても残念である。実質MTBerにとっての“岩岳”は姿を消すわけだ。

看板イベントであるゴールデンウィーク開催の「春の岩岳」は、国内のMTBイベントとしてはまさに日本最大級、有力選手を多数輩出し、数々の伝説を生み出してきた岩岳…。私の初スキーも、初MTBダウンヒルも岩岳から始まった。数こそ少なかったが、何回かDHやXCレースにも参戦できた。唯一度の人生の中でMTBと出会いレースイベントを通して岩岳を走れたことは、もしかすると非常に幸福なことだったのかも知れない…。

いや、思い出にしまい込むにはまだ早い、また走れるチャンスが生まれるかも知れない。それにイベントそのものはカタチと場所を変え、いずれ復活させる予定ということで、MTB文化が否定されたわけでもない。今後の経過を見守りたい。


 ロッコツマニア [PAGE TOP]

電波少年で、都内でいきなりら致され、無人島生活を経て揚げ句の果てに広島〜東京間をスワンボートで帰る羽目になってしまった若手お笑い芸人『ロッコツマニア』。その後東京〜仙台間を見事漕ぎきり、終わったかと思いきや、インドまで仕事のロケということで連れていかれ、見せられたものはこないだ別れたばかりのスワンボート。彼らの心情はいかばかりだっただろうか? (やらせでもきついよ。)

さてそんな彼らがインドネシアまでの大航海という偉業を成し遂げ、帰ってくるなり言い渡されたのが自転車競技でシドニーを狙え!である。なるほど、あれだけ長い間ペダルを漕ぎ続けていたのだ。足は出来ているに違いない。ところが、命ぜられたのは『ロード』の、しかも『トラック競技』。タイムスプリントである。まんま『サイクルスポーツ』=『競輪』という如何にも日本的な貧困な発想から出たものであることは明らかだ。しかもコーチは“お約束”の中野浩一だ。(いや、中野浩一が悪いわけではない。)僕はこの時点で「この企画は終わった」と思った。というのも、その工程上明らかにロッコツマニアの2人は耐久競技に適した身体を得たはずだからだ。

自転車レースにおけるトラックレース、特にタイムトライアルや競輪などにおいては“速筋”が物を言う。トラック競技の選手達は短い時間の中で、ありったけの力を振り絞り漕ぎまくる。ゆえにその太ももは肥大しかなりの筋肉量を誇る。ただし長時間の連続した運動には向かない。持久系の運動には“遅筋”が必要である。陸上競技を見れば一目瞭然だが、100M走の選手などは筋肉隆々のいかにもスプリンターといった風貌だが、長距離、特にマラソン選手の体格を見るとマッチョな選手はほとんどいない。むしろスレンダーで、どこにあんなスタミナがあるのかと思えるほどの体格だ。ロッコツマニアは同じ自転車競技でも、持久力がモノを言う耐久レースやクロスカントリーレースに出るべきだった。そうであれば宿輪の不本意な落車もなかったであろう。

とはいえ、その後の展開では思いのほかの頑張りを見せ、5月のリベンジマッチでは中島が辛くも勝利を収めた。練習のたまものだと思うが、ある意味スワンの旅がなくてもウェイトトレーニングを経ればこの展開は有りだっただろうと思えてしまう。せっかくの耐久体質を生かした展開に持っていけなかった日本サイクルスポーツの一般認知度の低さを見せつけられてしまった一幕であった。


 無灯火  [PAGE TOP]

自転車が日本に普及して半世紀余り経つが、残念ながら、マナーのレベルは一考に向上する気配がない。 そんな中のひとつに、夜間走行時の無灯火がある。無灯火での夜間走行はかなり危険なものであるということが、未だ一般に認識されていなさすぎ。 自転車での夜の走行にはライトが必要になる。車やオートバイとは違い、自転車には当然バッテリーは搭載されていない。そこで発電手段としてダイナモや乾電池が一般に使われているのだが、ことダイナモに関しては走行抵抗を増すとの理由で、あっても使いたがらない人が多い。

最近ではハブの中(ホイールの中心にある部品。車軸の部分)にモーターコイルを内蔵し、暗くなると点くオートライト機能のあるママチャリもかなり普及してきた。にもかかわらず、いまだに無灯火の連中が多いのは何故なのだろうか? 理由のひとつは上記に記したようにダイナモの走行抵抗がひとつ。次にスポーツバイクの普及。ママチャリと違い純粋なスポーツバイクにはリフレクター以外の余計な保安部品は装備されていない。自分で付けるのがおっくうだったり、電池式のライトは不経済では…とかカッコ悪い、重い、などの理由で無灯火に陥るパターン。もっとも点灯率はなぜかダイナモのついていないスポーツバイク乗りの方が高いのだが…。

それから今自転車に乗っている若者の親がまだ子供の頃に、交通教育をまともに受けていなかったという実態・認識の甘さが、そのまま次世代に継承されてしまった背景。学校で年に1回くらい婦人警官などが出向いてやるような交通教室や自転車教室などはほんの付け焼き刃だ。

他には繁華街や車の交通量が多いところなので、ライトが当たれば相手に見えるから・多少暗くても存在は確認できるなどの言い訳。究極的には「何となく」・「面倒くさい」というのまである。
ライトを点けるか点けないかという単純なことゆえに軽く考えてしまいがちなのだが、普段「自分は点けなくても平気だよ」という人は是非真剣に考え直して欲しい。

上で例に出した「多少暗くても存在は確認できる」という考えにおいて、まず、ライトが当たれば見えるだろうという人。あなたは見えていない。特に夜間車のライトに照らされて見える視認範囲というのは、彩度が落ちてモノクロームに限りなく近くなる。明度差も無くなりがち。すなわち、景色に同化しやすいのだ。また、自分は移動しているのだから動体は確認されやすいだろうと考えている人、車が静止している場合ならいざ知らず、普通は車も自転車より速いスピードで移動しており、当然景色も流れていく。夜間のようなグレーゾーンの中での動体認識は、無灯火の場合、昼間ほどの意味を持たなくなる。

まず、普段から自転車のライトの点灯について軽く考えている人は肝に命じておいて欲しいのだが、無灯火において1番危険なのは、距離感がつかめなくなることなのである。

自動車を運転する方は、高速道路のトンネル内などで、内部が多少明るいため、スモールライトさえ点けずに走っている車を見たことが無いだろうか?その車の前後について走ったり、対向した経験のある方は、多少なりとも距離感の狂いというものを実感できるのではないだろうか?また逆にちいさなスモールライトでも、点いているだけで認識度が違うということが分かっていただけるかと思う。特に両者のスピードが違う場合、危険度が増し、後ろに着いている場合はブレーキングや車間距離に神経を使い、対向する場合は(相手がスピードを出していた場合特に)頭で計算した感覚とのズレに恐怖することになる。つまり見えていれば安全というものではないのだ。

自転車はスピードがのろいからと侮ってはいけない。確認が遅れる分、事故るときにはブレーキもろくすっぽかけられずに突っ込むことになる。たとえ時速10Km/hでもその衝撃は相当なものだ。小学校の頃、廊下を走ってて他の生徒とぶつかったことがあるような人ならその衝撃が理解できるだろう。相手の身を守るためにも、ライトを点灯し、アピールすることを怠ってはならない。


 競輪の人…。 [PAGE TOP]

自転車という乗り物はその用途において実に様々な様相を成しているが、日本で自転車といってまず頭に思い浮かべるのが「ママチャリ」であろう。また自転車のレースといえば、サイクルスポーツの世界を知らない人達の大多数は「競輪」と答えることだろう。

休日に峠道などを、レーサージャージに黒いレーサーパンツを履き、穴空きヘルメットをかぶって走っているライダーはみんな競輪の選手だと思い込んでいる人達は未だに多い。 最近でこそ映画「メッセンジャー」などで一般にも認識されつつあるものの、街中でヘルメットをかぶって走っているのは、最近まではごく一部のスポーツライダーと「モルモン教の宣教師」くらいだった。(モルモンはママチャリに乗っていても穴空きヘルをかぶるが)

マウンテンバイクなどの普及でスポーツサイクリストの人口が増えつつはあるが、それでもまだスポーツとしては、Jリーグ発足前のサッカーよりもマイナーな存在である事は否めない。 一定のルールの中で競い合うのだから、広い意味では競輪ではあるのだが、いわゆる公営ギャンブルの「競輪」は日本独特の特殊な競技であり、他のトラック競技と比べても厳密には似て非なるものである。またそれゆえに、スポーツとしては自転車がオーバルトラックの競技としてしか受け入れられていない部分もあるのだ。


 ひとかじり・日本の自転車の歴史 [PAGE TOP]

欧米諸国と違ってスポーツとしてではなく生活の足・運搬手段として発達してきた日本の自転車。
そもそも自転車は西暦1817年ドイツで生まれ、1879年(明治12年)には初の後輪チェーン駆動タイプがイギリス人によって発明された。

日本へ自転車が持ち込まれたのは、幕末の頃。時の将軍 徳川慶喜公が自転車に乗り駿河の国、清水の町を走ったとの文献が残っている。 国内では宮田製銃所(現/宮田工業)が、外人から外国製自転車の修理を依頼されたのがきっかけで、明治23年に日本初のセーフティー型自転車(前後輪の大きさがほぼ同一のタイプ)を試作・開発し、市販。鉄筒=フレームということで、鉄パイプの製造技術を生かし、当時鉄砲鍛冶が多くいた大阪などで自転車産業は少しずつ発展していく。

第一次世界大戦後、昭和3年には貿易代理店の日米商店(現/日米富士工業)が、取り扱っていたイギリス式の自転車を日本人向けにサイズダウンして商品化。第2次世界大戦後はアメリカの影響を受け、各社から近代的な自転車が多数開発され、急速に発展していった。そんな中、戦後の当時、まだまだ庶民には高嶺の花だった自転車に初めて月賦(ローン)制度を設けたのが1956年(昭和31年)に発売された「スマートレディー」という軽快車。これにより男性はもとより女性の購買層がかなりの拡がりをみせた。

約10年後の1965年(昭和40年)頃には一世を風靡したあの「ミニサイクル」が登場。ママチャリが街を席巻し、庶民の足として定着した。スポーツバイクはランドナー・ツアラー全盛の時期で、前後タイヤ両サイドにパニヤバッグ、ハンドルにはフロントバッグと重装備したツーリングモデルが大流行だった。通学車では、トップチューブにオートマ車のシフトレバーさながらの変速レバーを装備した5〜6段変速の自転車が少年達の憧れの的となった。デコレーションはハデになり、大型フラッシャー装備のものも数多く出回った。

この頃から普及車のブレーキの伝達方式も、クランクバーを介したロッド式ではなくワイヤー式に移行していく。ママチャリや「KAMAKIRI」などに代表されるファッションサイクル全盛の長い時代を経て、'93以降あたりからマウンテンバイクが開発され、ロードと共にここ数年で著しい進化を遂げた。ダウンヒル競技用のマウンテンバイクなどは、ほぼエンジンの無いモトクロッサーである。全般的にスポーツバイクの普及率も上がってきており、スポーツとしての自転車の地位も向上しつつ現在に至る。


 ママチャリ考  [PAGE TOP]

外国、特に欧米では日本のママチャリのような自転車はあまり見かけない。
クロスバイクの様なコミューターとしての位置づけのものはあるが、その多くはフレーム形状がほぼ普通 の自転車と同じくダイヤモンド型で、女性用でもトップチューブが斜めにシート下へスロープしてスカートや背の低い女性でもでもまたぎやすくなっている程度の違いでしかない。

ママチャリの多くはフロントカゴにアップハンドル、ライト、後ろには荷台。泥よけ・チェーンガード・リフレクター・ライトなどを常備。御丁寧にスカートの裾巻き込み防止のネットまでついているものもある。

フレームもスカート乗車を大前提としてトップチューブが無くメインチューブがハンドル部から直接クランク部付近へつながるストレートや弓形の形状のものがほとんど。クロモリやアルミを使用しているフレームもなくはないが、ホームセンターなどでの大量 販売向けに造られた安価で低品質のバーゲン自転車(低価格と丈夫さ、作りやすさ優先の車体は過剰(必須?)装備で、重量 も17〜25kgとヘビー。材質は定価格帯のものはハイテンション鋼(スチール)で、サビが発生しやすい。汚くなりやすいがゆえに大事にもしなくなる。)によって値崩れ、品質の在り方にも影響を及ぼし、一般家庭において自転車専門店で素材や性能を吟味し、本当に価値のある物を買おうという姿勢はなくなりつつある。

乗降性・運搬性・ファッション?性を日本独特の美意識で、見事なまでに集約したママチャリ群は、日本の生活事情に対応した非常に特異な自転車といえるだろう。




 


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